武器輸出反対!
久保さんも明確に日本の武器輸出を主張されているわけでないだろうが、できればやった方がいい、できるはずだしてどこが悪いのかという位のスタンスなのでしょうね。私はそのこと自体は明確に否定したい立場です。みかんさんも一緒です。
「日本には超平和力があるので、おまけに軍事技術としても活用できるのですね。この構造を否定すると、明日から皆さんは、未開のジャングルやら酷寒のシベリア並みの非技術的な窮乏した生活しか出来ないでしょうね。」久保高明氏の論より。
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それは否定しませんよ。かって戦後の時代のいわゆる3種の神器は軍需技術の応用が多かったことは事実です。今もそうでしょう。
が、日本の場合は違う。家電にせよ、エレクトロニクス製品にせよ、ロボットにせよなんにせよ、それぞれの製品開発、技術開発の結果、それが最新の兵器製造、軍事技術にも役立つということでしょう。結果それが他国での兵器製造につながることは避けがたい。特許ででも守られていれば日本に取って莫大な特許料が入ってくる。それでいいのではないですか。日本自体はそれを活かして、兵器を作り、輸出する必要などない。すべきでもない。
私はそう考えます。
アメリカはもちろん、フランスにせよ、ロシアにせよ、ドイツにせよ、中国にせよ武器を作ってせっせと世界中に売るのかもしれない。日本はそれをしない。日本はそうしたスタンスを「武器」に安保理常任理事国に立候補するならしてもよい。平和志向の世界ならそれが圧倒的に支持されるべきだ。平和を守るために武器が必要なことは許容するとして、安全保障理事会の常任理事国がせっせと武器を作って世界中に売りつけることなどおかしいという議論がどうして起こらないのか。日本がそれを起こすべきではないのか。
本来平和を守るのはそういうスタンスではないのか。現実がどうの、それでは甘いの、それでは結局国を守れないのいわれても、それはしかたがないという覚悟を決めるべきだ。日本を守るためには最新の武器が必要であることは認める。それはアメリカから買うしかない。買えばいい。その代わりアメリカは日本の優秀な自動車、電気製品をもっと買うべきだ。買えるはずだ。それでいいのではないか。
tad
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Comments
まあ、帝国日本国家総力軍事態勢から平和国家日本への技術移転は、とても上手くいった珍しい例でしょうね。
人工血液の開発から出来たインスタントコーヒーやら、栄養失調で悩む前線兵士のために研究開発されたインスタント食品、ビタミン剤など色々とありますけど、その中で数点を紹介します。
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素晴らしい家電とAV機器とゲーム機で世界征服した有名なSONYですが、その創業者であった井深大と盛田昭夫は、共に日本陸軍の命令で「熱線誘導兵器」の研究をしていたそうですね。(正確に云うと、盛田は海軍の技術将校だった)静岡県西部の有名なこの温泉街で、当時最先端の技術を駆使した秘密兵器の研究、実験が行われていた。地元の人間にさえ極秘の施設で研究が進められたこの兵器は、「熱線吸着爆弾(通称マルケ)」と呼ばれ、現在の誘導ミサイルのはしりのような爆弾である。艦船の煙突などから出る熱線を、爆弾に取り付けられた感知器が捉え、装着された翼をコントロールし目標まで誘導しようというものである。実験は、実験水域(写真の奥側の湖上)に浮かべられたいかだにたいまつをともし、浜松飛行場から飛び立った爆撃機がこのたいまつを目標にマルケを投下して行われた。当時日本を代表する工業技術者(井深大、松前重義など)が投入され、運河(写真中央)から北が研究施設とされ、厳重な警備が敷かれた
基本データ
ミッション
対艦誘導爆弾
開発国
日本
配備国
開発中に終戦
開発年
1944年
性能・仕様
全長
3m
直径
50cm
翼幅
2.5m
発射重量
不明
サブシステム
推進装置
なし
弾頭
600kgHE
誘導装置
赤外線ホーミング
「自動吸着爆弾」として陸軍が開発しており、長さ三メートル、直径五〇センチ、小型魚雷の中央から四枚の翼を十字型に突き出したような形をしていた。この「自動吸着爆弾」は炸薬が六〇〇キロもあり、単純計算だが九九艦爆六機分の破壊力を秘めいていることになる。史実では四〇〇名もの技術者が必死になって誘導装置を開発した。その結果、何とかモノになると結論付けた陸軍は、七〇〇発ものケ号生産を指示。完成の予定は昭和二〇年一〇月のことであった・・・・・・
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日本の宇宙開発の祖である糸川英夫氏
陸軍二式単戦闘機 鐘馗
糸川英夫さんは空力担当で主任設計者じゃけど、陸軍は、中島飛行機にキ-43(隼)と同時期に重戦思想の高速戦闘機キ-44の試作を命じた。大出力、高翼面荷重の戦闘機で、日本機としては、かなり異色の機体。海軍の雷電と同じく当時大出力のエンジンは、爆撃機もののしかなくエンジン部分が非常に太くなっている。基地の防空戦闘機として配置されるが、格闘戦闘機に慣れた搭乗員たちには、癖のある操縦性や、視界の悪さなどが不評で、また一撃離脱型の戦闘形式の理解不足もあり性能が生かされなかった。ようやく本土防空戦となって、再評価されてB-29の迎撃に使われ戦果をあげるが、このころにはやはり12.7mm4挺では火力不足となっていた。主翼の構造の問題で、翼内銃を20mmにはすることができなかった。
メッサーシュミットBf109Eとの模擬空戦で勝って採用決定したぐらいです。負けたメッサーシュミットのドイツ人パイロットは、日本空軍は二式戦闘機だけをいっぱい作って乗りこなせば世界最強の空軍に成ると誉めていました。
糸川英夫 いとかわひでお 1912~99 日本のロケット開発の先駆者で、航空宇宙システム工学者。文化的、社会的にも異色な活躍をしたマルチ人間。東京生まれ。1935年(昭和10)東京帝国大学(現、東京大学)工学部航空工学科を卒業後、中島飛行機株式会社(現、富士重工業)に勤務、1941年に母校である東京帝国大学工学部にむかえられ、助教授、教授を歴任した。戦後は脳波測定器などの開発に従事したが、57~58年の国際地球観測年(IGY)をひかえて、東京大学生産技術研究所でいちはやく宇宙観測用ロケットの重要性に注目、開発に着手した。55年3月に国分寺市の工場跡地で全長23cm、重量215gの「ペンシルロケット」の水平試射に成功、同年8月に秋田県岩城町の道川海岸で「ペンシルロケット」と「ベビーロケット」発射に成功して有名になった。その後も国産ロケットの大型化にとりくみ、失敗を重ね、批判をあびながらも「カッパ」「ラムダ」「ミュー」の各ロケットを成功させ、日本のロケット技術の基礎を築いた。64年、創設された東京大学宇宙航空研究所(現、宇宙航空研究開発機構)にうつったが、67年に東京大学教授を辞任、シンクタンクの草分けの組織工学研究所を設立、所長となり、海洋開発や音響工学、システム工学などの研究開発や教育活動などをつづけた。
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日本のモータリゼーションを牽引し、素晴らしい世界に通用する日本車の祖
立川飛行機 キ94 対B29用 高高度迎撃戦闘機の開発
戦時中、陸軍航空審査部で日本陸軍戦闘機の開発審査を担当していた木村少佐は、立川飛行機が開発した「キ94」高高度防空戦闘機に付いてこう評価している。「本機には、層流翼型が始めて採用され、高高度における安定および装備の諸問題など、極めて細かく行き届いた名設計であった」、また同じく牧浩一氏は「本機は立川が生んだ力作機であり、予定どうりの性能を出せば、当時の最高傑作機の一つになったことは疑いなく、真価を発揮せずに終わったことはまことに残念である」とある。試作一号機が完成しただけで、一度も飛ばなかった飛行機に対する評価としては異例の最大級の評価であるが、それほどキ94の設計がいかに先進的で優れていたかを物語っていると言えるのではないだろうか。
このキ94の設計チームのリーダーだった長谷川龍雄(終戦当時29歳)は戦後トヨタ自動車工業(原トヨタ)に入社し、パブリカ、カローラ、カリーナ、セリカなどを最初に生み出した名自動車設計家であるが、その技術者としての根底に立川飛行機時代に培った技術思想が伺える。
Posted by: Takaaki Kubo | November 17, 2004 at 11:23 AM