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November 30, 2006

脳トレに一番いいものは

Noufs「電通消費者研究センターは28日、「消費者が選ぶ今年の話題・注目商品トップ20」を発表し、1位は脳を活性化させるためのゲームや書籍の「脳トレーニング関連」となった。」 フジサンケイビジネスアイ

「脳トレーニング」のブームだ。本屋に行くと、漢字や計算のドリルが沢山売られている。学者の研究では複雑な問題を考えるより、そういう単純な作業をやった方が脳の活性化に役立つのだという。そこでわざわざ教室に通ってそんなことをやる人も多いらしい。ゲームや本など脳活性化のためになるというふれ込みでのが今年はその手のものが沢山売れたそうだ。

それは結構。脳の仕組みがどうのこうのそんな難しいことはわからぬが、要するにいろいろ頭を使うことをやったらいいに決まっている。ただ、どうせやるなら、どうしてもっと楽しくやらないのかである。単純計算を繰り返したり、漢字を書いてみたりしたところで、何がおもしろいものか、楽しいのか。そういう意味ではどうも我々日本人は学ぶということについて、なにか禁欲的というか、我慢ばかり強いるようなところがある。

学ぶということにそういう要素がついて回ることはことは否定しない。が、我々熟年者に今更そんな学び方を押し付けることはない。何事も学ぶためににはさまざまな努力は必要だし、なにもただ楽してやろうというのでない。ただできる限りそれを楽しく、創造的にやりたいし、できるはずである。それといわゆる左脳、右脳をバランスよく鍛える方向でやりたいものである。

結論からいうと、今脳を活性化させる最高の道具とはパソコンだと思う。不思議なのはどうしてそのことがもっと話題として出てこないのかである。それにパソコン自体でもいろいろ楽しいことができるが、それにインターネットが加わるとその楽しみかたはもう無限にあるといっていいだろう。それを駆使する中で理想的な脳の活性化ができるはずだ。

単純計算を繰り返してやるなんてことはしたくもないし、それが本当に脳を活性化させるとも思わない。脳の活性化なんてそんな難しいことでない。やる人はみなそれぞれやっている。それぞれ自分の趣味、それは俳句や短歌であったり、絵を描いたり、音楽であったりするわけだ。それ自体を楽しむこと自体が脳の活性化そのものだし、ただその趣味をさらに深めるためにパソコンやインターネットを使ったらどうだろうか、というのが私の提案である。

私たち仲間でやっているパソコンクラブの人たち、ネット仲間の人たちはみなその実践者である。それについてはこれから自分自身の活動も含めてさまざまな例を紹介して行ければと思っている。

「右左 外で助ける マイPC」     

tad

私のパソコン体験談
(スライドでの概要説明です。各項目をクリックしてごらんください。中身についてはそのうち順次書いていければと思っています。)


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November 29, 2006

サイバー大学にチャレンジしてみよう

Kougif「サイバー大など認可 大学設置・学校法人審議会は27日、対面授業をせず、すべての講義をインターネットで行う初めての大学となる」 参考記事

日本でもやっとこういうものが認可されるのか、という感じである。アメリカなどではすでにかなりこうしたものは進んでいるようだ。もっともそれは国が大学としてその存在を認めるとか認めないとかは関係ないのかもしれない。日本にだって文科省がそれを大学として認める認めないは別にして、既にその種のものは存在している。今回はいわゆる特区的扱いで国が始めて大学として認可するというものだ。その認可に当たっては、いろいろ細かい注文をつけているようだが、いずれにせよ、それを国家が認めたということの意味は大きい。インターネットの進展にともなって大学も当然こうした形で進化していく。行って当然だということだ。

文科省が認可に当たってどういう注文をつけたのか知らないが、一つには対面授業でなく講義がネットで行われるということで果たして本当の教育、さまざまなカリキュラムがこなせるのか、という問題に帰するのだろう。大学での一般教養課程と専門課程ではもちろんそのやり方が違うし、それはわけて考えなければならないが、そもそも対面授業とは名前ばかりで、教養過程などでは大教室で教授が一方的に講義し、生徒はそれに出席するが出席率なども極めて悪いのが一般的である。

日本の大学では一年の学期中、教師が中間テストと学期末試験を行いそれでそれで成績を決めるのが普通である。講義の進展につれて教授がその都度リポートの提出を求めたり、生徒同士にテーマについて議論をさせたりといったことも殆んどしない。講義は大体一方通行で終始する。生徒との質疑応答も乏しい。対面式なんていうが、その内容はおそまつなものだ。

その対面式でなく講義を通信教育で行うという方式は昔からあった。それは正式に国家が認可していたものであったはずだ。それはある程度定着した仕組みだった。しかし今やインターネットを使った授業、講義は従来の通信教育に比べたら、その教育効果が抜群に上がることは容易に想像できる。テキストの事前配布はもちろん教師が教えるべきテーマについての講義を文書や、スライド、場合によっては動画などを使って効果的に提示することができる。そして受講者にそのつどそれについてのリポートを求めることが一般的であり、生徒側にとってもリポート提出の容易さも従来の通信教育システムの比でない。メール、メーリングリスト、BBS、BLOG、ホームページなどを駆使できる。

要するにサイバー大学では教師と生徒のコミュニケーションが、従来の大学の授業などよりはるかに密になることが期待されるのだ。またそうでないと意味がない。教師と生徒だけでなく、教師はネット上で生徒同士の議論やあらゆる生徒との質疑応答を上記のような手段を用い、展開していくことも可能なのだ。もし顔をあわせるということが大切なら、ビデオチャットを行うことだって可能である。そうしたことを行うについては大学側の多額の投資はもちろん必要だが、生徒側に掛かる費用はたいしたことがない。要するにパソコンでインターネットができればいいわけだ。

受講する側にとっては、時間や場所にしばられることなく、自宅ではもちろん場合によっては勤務先の休憩時間、出張先などでもフレキシブルに授業に参加できるという大きなメリットがある。教師にとっても、大学への通勤時間を節約し、時間については極めてフレキシブルな対応ができるはずだ。

そうした意味からいうとサイバー大学の問題はコストとか時間的制約とか、その教育的効果という本来の問題よりも、それがうまく機能するかどうについては、むしろ教える側と教えられる側のパソコンリテレィシイ、(パソコンやインターネットを使う能力)が問題だということであろう。パソコンというより、もっと大きな言葉で言えば、情報リテレィシイと言っていい。それについては、受講側というより、教える側の方により大きな問題があることが予想される。

教師が教えることのテーマに専門性を有していることは当然のことだ。問題はその教師がパソコン、インターネットを駆使してそのeーラーニングの仕組みをどう使いこなせるかが一番の問題になるだろう。ベテラン教師になればなるほどその心配が大きくなるのことも容易に想像できる。eーラーニングとは何か、そのことが教える側も教えられる側もまだあまりよくわかっていないことが一番の問題だと思われる。

授業のスタートに当たってはまずはお互いそのことの訓練を十分に行うことがなにより必要なのではないだろうか。今回のこのサイバー大学の認可については、以前にも指摘したことだが、高校で「情報」という科目など頭からその必要性を否定してかかる日本の教育界に問題の一石を投げかけたことの意味の大きいことは指摘しておきたい。

そういう意味では毎日ネットでBLOGやSNSに参加している人たちはサイバー大学の生徒としての資格は十分備えているのだろう。そのサイバー大学にIT総合学部というのがあるそうだ。一つチャレンジされてみたらいかがでしょうか。

「サイバーが 普通名詞の 十年後」

tad

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November 28, 2006

やっぱり昔の自民党

Fumie5_1自民党は郵政民営化反対を造反だとして離党させた議員11名を安倍総理の最後の決断で復党させるようだ。なんじゃそれはという感じである。当時そうした議員追い落としのため立候補して当選したり、落選したいわゆる刺客議員から反発がでるのは当然だ。

ずっと見ていて今回筋を通したのは復党交渉窓口になっていた平沼氏と、厳しい復帰条件をつきつけたと党内で反発を買った中川幹事長二人だけのようだ。後は、議員なんて使い捨てだと方言した前首相、ただただ選挙に勝つために復党させようという参議院の青木、政治には情が必要だとか言った中川、おめおめと屈辱の誓約書を出して復党する野田、堀内などどうもおかしな連中ばかりのようである。

特に世間注視の中復党する連中の顔を改めて見てみたい。彼らは郵政民営化法案には信念を持って反対したはずだ。それは筋が通っていると思った。そしてそれは党に対する重大な裏切り行為だとあえて彼らを離党させた党の判断もそれなりに筋が通っていた。国民はみなそう思っていたわけだ。小泉前首相のその断固たる姿勢が受けて、自民党は大勝したはずだった。

が、新しい政権がスタートしたとたんそれは以前の政権でやったこと。もう新政権になったのだから、復帰OKとなってきた。それもこれもすべて来るべき来るべき選挙のためなのだ。それについては帰れという方も、帰りたいという方も同じ。政策も政治家としての信念も信義もなにもあったもんじゃない。

政治家なんて全然人間として信用ならないことはこれでよくわかった。

政治にも情が必要なことは否定しない。しかし情は後からの話だ。まず厳然とあるのは理であり義ではないのか。それを利と偽にはきちがえている。その間違いを正すために正義の刺客を送る必要がある。それはやはり選挙においてこんないい加減な自民党への国民の鉄槌が必要なのだと思う。それが政治をよくする唯一の道ではないのか。

「屈辱の 踏み絵踏む人 踏まぬ人」  

tad

参考記事

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November 27, 2006

夕張市破綻

Yubari4s夕張市は360億円の負債を抱えて、民間企業で言えば破産、財政再建団体の道を歩むことになった。その再建計画を説明する住民集会では市長の説明に怒号が飛んでいた。「我々は日本国民憲法で国民として等しく保証された権利がある。それをどうしてくれるのか」とつめよる場面もあったが、今更どんなに叫ぼうが、ありとあらゆる公共サービスの低下、税金、さまざまな公共料金の限度一杯のアップなど、市民生活への影響は避けられない。市職員の大幅削減、退職金のカットなども当然のこと、それをやるという市の計画を見て、その問題を管轄する総務省は、夕張市の再建計画はまだまだ甘いと冷たく突き放している。新聞報道にもあるが、総務省は夕張市のケースを一種のみせしめとしているふしもあるようだ。

もちろん民間企業の破産とちがって、市民生活は苦しくなるが、市民はそれで路頭に迷うことはない。最低限の生活を確保できるだけでもいいとしなければならないのだ。

この問題全国ニュースでも大きく報道されているが、一般国民はさほど大きな関心を示しているようには見えない。しかし夕張市のようにすぐににっちもさっちも行かなくなるほどでないにしても、日本国内の多くの地方自治体は多かれ少なかれ、夕張市と同じような財政困難に直面して現状がある。ほっておくと第ニ、第三の夕張市が多発する恐れは十分あるのだ。総務省の冷たい態度はそれに対する一種の警告のつもりなのだろう。

この際日本国民はすべからく、それぞれ自分の市や町の財政状況がどんなものなのか、改めて関心を持ち、チェックしておく必要がある。で、ないと突然今夕張市民が味わっているのと同じ苦悩の道に追いやられるかもしれないのである。

もっと重大なことに、そうした地方自治体財政破綻の先に、日本国家財政の破綻がちらほら見えてくる。日本国の財政そのもがいま破綻寸前の状況であることを忘れてはならないのである。

2001年、日本の財政再建を勧告したIMFの報告と関連して、かの有名なネバダ・リポートなるものが霞が関に出回ったそうだ。そこには日本国家財政が破綻した時に取るべきアクションの数々が記されている。

いわく、公務員の給料の30%カット、ボーナスゼロ、退職金ゼロ、年金30%カット、消費税20%に引き上げ、預貯金30-40%カットなどなどなど衝撃的な内容である。まさかと思うが、日本の国家財政破綻の時そうしたアクションがとられる可能性は十分あるということだ。

総務省の大臣や高官はそうしたネバダリポートのことが念頭にあったにちがいない。だから夕張市の再建計画などまだまだ甘いなどと、ぬけぬけ言ってるに違いないのだ。

いずれにせよ夕張市で起こったことは、明日はわが身に起こりうる可能性があることを、すべての日本国民は忘れてはならないのである。

「がんばって メロンも甘さ ひかえてる」  

tad

参考記事

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November 26, 2006

あいも変わらず紅白歌合戦

Kohakushs_1この産経新聞記事に限らないが、この時期になると日本のマスコミは結構このNHKの紅白歌合戦の話題を取り上げる。今年は誰が司会者になったとか、出演歌手がどうだとかこうだとか、この記事のようにNHKが視聴率回復に必死になっている様子だとかを話題にするわけだ。もっとほかに取り上げるべきニュースはいくらでもあるはずなのに、なんでこんなことをいちいち取り上げるのかである。

一番けしからんというか、気に食わないのは当のNHKである。例のいくつも続いた不祥事で、それでなくても国民の不信を買っているのに、どうしてたかが歌番組のことで毎年大騒ぎをするのかである。かっての栄光の視聴率をなんとか回復しようと必死なのだ。いい番組を作ろうとして必死の努力をするのは当然だ。が、紅白歌合戦は国民にとってそんんなにいい番組なのかだ。なぜこんな歌番組があたかも最高の、NHKに言わせれば年末の国民的行事、番組にしなければならないのかである。それをまた不思議とも思わないで受け入れている視聴者も視聴者だ。

もっとも視聴者がそれを受け入れなくなってきたから視聴率が40%までに落ち込んだのだ。それをNHKはとにかく面子にかけてかっての栄光を取り戻そうと、局をあげてとりくんでいるのだ。私に言わせれば、なぜそんな必要があるのか、第一それはもう無理な話だということにどうして気がつかないのかである。

視聴率が81%があった時代など、今の時代と比べあらゆる意味において、その時代背景が違う。それを一つ一つ分析し、説明する一冊の本にもなるだろうが、私はその一言で片付けおく。産経記事のグラフを一部参考にして描いた添付のイラストだけでもその説明は十分できる。あえてもう一言付け加えれば、世の文化の多様化、個人の価値観、ライフスタイルの多様化がそのすべてを物語っている。

私がどテレビなるものを初めて見たのはたしか高校生の頃だったが、それから20年位はたしかに紅白歌合戦をみながら大晦日を過ごすのが年中行事だった。どこの家族もそうであったにちがいない。が、もうこの20年、紅白歌合戦なんてちらっとは見ることはあってももう見ることはなくなってしまった。家族もそうだ。多くの人々もそうだろう。

その理由はそれぞれ違うだろうが、要するにそれに代わる他のエンターテインメントが沢山でてきたし、歌謡番組離れということもあろう。視聴率のダウンについてはこの記事にもあるような、歌合戦のやり方がどうのこうということは殆んど無関係である。もちろんNHKの過剰な演出に反発して見なくなってしまったという側面はあろう。

それでいて今でも40%台の視聴率とは私に言わせれば驚異的高さである。日本人ってほんと保守的というか、義理がたい人種なんだ、とこれは少々皮肉をこめて、言っておきたい。

もちろんそんな人気番組についてなにもことさらけちをつけるつもりはない。ただNHKの指導者達に言っておきたいことは、こんな年末番組の視聴率ばかりにうつつをぬかすより、公共放送としてほかにもっとカネをかけ、充実すべき番組はいくらでもあるのではないですかということだ。

私自身は公共放送としてのNHKの存在意義は認める方である。だからそれを言うのである。それが民間放送ならバカ番組は一切見ないということですむ。NHKだからそうはいかないのだ。

tad

参考記事

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November 24, 2006

TMよりNMを実施せよ

TmsTM(タウンミーテイング)の無駄使いが国会でも追及されている。なんと訪れた大臣の案内のためにエレベータのボタンを二回押す仕事に15,000円の予算が計上されていたという。

すでに書いたが、政府が行うそんな会議、公聴会なんてカネばかりかかりしかもやらせになるに決まっている。教育問題について意見を述べたい国民はいくらでもいるだろうが、わざわざそんなところに出かける時間はないのだ。

私が提案したいのはTMでなくNM(ネットミーテイング)だ。賛成か、反対かを含めてネット会議で意見を述べてもらうことはいくらでもできる。もちろんそれについては無責任な発言や会そのものを妨害するようような発言、行動も出てくるに違いない。しかし多くの国民が納得する優れた意見にもお目にかかれるはずだ。

安倍内閣はメールマガジンを実施しているが、その延長線上で一つこういうものを試みてみたらどうなのだろう。

そうすれば極めて短時間にTMなどにくらべはるかに効率よく国民の生の声を収録できると思う。Yahooのアンケート調査では7割がTMは有効でないと答えているが、もしそうしたネットミーティングは有効かと問えば、8割は有効と答えるだろう。

tad

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November 23, 2006

パート正社員化をすすめよ

Tenbikis雇用者がパートの保険料を天引きすることで国民保険加入率を高めようということ自体はまちがった方向でないと思う。それは本人のためでもある。

問題はパートと正式社員の待遇の違いである。正社員の場合企業は年金保険料の半分を負担している。将来受け取る年金額もパートの比でない。パートが正式社員になれるのに、あえてパートの道を自ら選択している場合はしかたがない。

しかし多くのパートはいつかは正式社員になることをめざしてパートを続けている場合も多い。パートが正社員以上に企業にとって戦力になっているケースだって多々ある。しかし企業は人件費対策としてパートの社員化はすすめるつもりはないのだ。

今企業の業績は非常にいい。にも関わらず政府税調は法人税減税策を打ち出している。それについても私はあえて反対だとはいわない。ただ問題はどうして企業がパートの正社員化をすすめないのかである。それは格差問題解決の一つの重要なポイントなのだ。

厚生労働省は年金という厚生問題だけとりあつかっているのではない。その名前のごとく労働問題も担当しているのだ。働けど働けど生活が楽にならない労働者のことが今問題になっている。どうしてその方面にもっと目が行かないのか。

パート労働者の正社員化をすすめる施策をもっと真剣に打ち出せといいたい。先日本間政府税調会長がテレビでこの問題に関し気になる発言をしていた。彼はどうも労働者というより財界よりのようだ。

厚生労働省が一方でパートの正社員化を進める方策を打ち出さないで、ただその年金保険料天引きという自分たちにのみ都合のいいことを言ってるようである。

「保険料 天引きだけは 社員なみ」

tad

ニュース記事

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November 22, 2006

近未来通信破綻

Intertels近未来通信なるあやしげな会社が破綻した。破綻すべくしてしたというほかない。投資家には気の毒だが、多分投資したものを回収するのは難しいことだろう。近未来通信を始めた幹部連中が、このビジネスが本当に事業として成り立つことを、ありとあらゆる観点から検討し、慎重な計画を練った上で始め、結果的にうまく行かなかったというのならまだわかる。が、もし最初から、詐欺的な発想でこれを始めたとしたら、それは許せない。刑事罰だって科せられるべきものだしどうやらその気配なのだ。

あやしげ、と書いたのは、私自身この会社事業への投資を2年ほど前にある人から勧められたいきさつがあったからだ。その時はあやしげというより、私自身はその話を聞いたとたん、その事業内容そのものは、あまりというか、殆んど可能性がないことが即断できたのだ。だからそんな事業に投資しても将来性はないとお断りした。少々検討してみようということも全くなかった。

第一IP電話ビジネスなんて、あちこちで始まっていた。Yahoo、Niftyなど大手ポータルサービス会社、数あるプロバイダーはADSL接続の付属サービスとして、極めて安い価格で場合、多くの場合初期費用ゼロで提供していた。IP電話ではないが、マイクロソフトやYahooの提供するチャット機能を使って、全国、いややろうと思えば世界中の家族、友人と何時間も無料で会話ができることを知っていたし、多くの人はすでnそれを実践し、体験していたわけだ。その後そのサービスはさらに拡大している。ライブドアのSkypeなるものもその一環なのだ。NTTなど超大手も最近問題を起こしていて話題になっているが光ファイバーを使った新しいIP電話を始めている状況である。
それやこれやでそうしたIP電話一本に絞ったビジネスなど今更成り立つわけがないと2年前だって容易に想像できた。しかし朝日新聞などがなんどもこの会社の代理店募集の広告を大々的に出しているのをみて、ふと「へえ、それでもうまく行ってるのか」と思ったりしたものだった。が、結果はやはり案の定であった。Blogでもそうした意見を見かけたが、こうした詐欺的行為の片棒を担いだメデイアの責任も大きいといわざるをえない。
すんだことを今更うんぬんしてもしかたがない。大金を投資した投資家たちの損害を少しでも減らすためにどうするか、今は考えるしかないのだろう。

「近未来 想定してた 大破綻」 

tad

ニュース記事

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November 21, 2006

有害サイト対策

Akunetfsいつもは熾烈な競争している携帯三社も総務省の有害サイト制限強化に関して協力するというのは当然の話であり必要な措置だ。

未成年にとって有害といえば、携帯で見れるサイトも多くの場合共通するのだが、パソコンで見れるインターネットサイトの方がさらに有害であり、実害も大きいはずだ。携帯電話となると中学生、ましてや小学生が持っているケースは少ない。ところがそれがパソコンとなると今や大抵の家庭にある。親の目を盗んで、こっそり一人でまた友達たちだけでそうした有害サイト見ているケースはいくらでもあるだろう。

私などのように、メールアドレスをネットで公開しているような場合毎日送られてくるその筋のメールの多さは想像を絶する。多くのネット友人はそれを避けるため、アドレスを変えたりするが、しばらく経つとまたもとの木阿弥、山のような迷惑メールを受け取ることになる。毎日そうしたメールをせっせと削除することから一日が始まるわけだ。そして一日中メールを開く度にその作業は続く。最初は頭にきていたが、最近はもう慣れっこになって淡々と作業をするようになってしまった。誰もがそういう感覚になってしまうこと自体大問題である。我々の社会はいつの間にそうしたひどいサイトに不感症になってしまったのだろうか。

学校のパソコンなどもそうした有害サイトを見れないようフィルタリングを含めてさまざまな措置をとっている。小学校のそれなどはトップページはYahooのそれでなく、
Yahooキッズになっていてそこからだと有害サイトが排除されるような工夫はなされている。が、しかしいくら制限をかけても子供達自身は情報交換してチャンネル2だとかのえげつないサイトをおもしろがって見ているのだ。さすが私たちの目の前ではアダルトサイトなどは見ないが、仮に偶然であってもそうしたものが子供の目に触れる危険性は多々ある。

私はフィルタリングだ制限だという措置自体いくらやってもそれには限界があると思う。そうした有害サイトや、有害な内容そのものをネット上から排除しないとダメだと思う。それは今や事実上野放しの状況なのだ。現在の法律でだってそれを取り締まれないことはないだろうが、どうしてもっとそうしたものの法的規制、制限、罰則措置を含めて根本的な対処を考えないのかである。

これはそれこそ日本だけの問題でない。それは今やすべての国家にとって共通の問題であるはずだ。そうしたアクションの必要性を政府関係者、担当省である総務省などが問題提起しているケースを私は聞いたことがない。有害サイトを見れないようにする措置は必要だが、それ自体を排除するアクションをどうしてとらないのかである。

いくらそうした措置を撮ってもそうしたサイトは次から次へと出てくることはわかっている。だからその対処を警察関係などにだけ任せておいたのではダメなことはいうまでもない。これこそ毎日ネットに参加しているものはすべてそういうものを見かけたら、摘発したり、通告したり、告発したりする仕組みを作っていく、これをネット参加者の心がけででやっていく体制を作ること、そうした考え方が必要なのだと思う。

これはこの携帯電話の有害サイト対策だけの問題ではない。それこそ「美しい日本」作りのための根本対策の一つではないのか。

「悪を絶て 粗いフィルター 役立たず」  

tad

参考ニューース

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November 20, 2006

沖縄知事選に思う

Okinawa沖縄知事選で、自公推薦の仲井真氏が、野党が一致して推薦した糸数慶子氏を破って当選した。昨夜の開票出だしは接戦ようなだったが、朝起きてネット速報を見たら、案外の差がついて、中井氏が勝っていた。

私は心情的には与党推薦の候補より、野党推薦の候補の方に勝ってもらいたいと思っていたが、しかし冷静に考えてみると、この選挙を政局がらみでしか見ていない県外の人間より、地元沖縄県の人たちのその現実的判断、選択が正しかったのではないかとと思い直したわけだ。

中井氏は普天間基地移設をめぐってはその態度を必ずしも明確にせず、政府と協議を続けるとし、基地問題もさることながら、沖縄の経済振興を中心に訴えた。一方糸数氏は基地問題に焦点を絞り、「県内には新基地建設を認めない」として県外や海外移設を主張していた。基地反対の県民にとってはわかりやすい、耳触りのいい主張だが、しかし氏が当選すると、政府にとってはもちろん、米軍再編をめぐって日米安保体制そのものを揺るがす大問題に発展せざるをえなかったわけだ。

よくわからないのは日米安保を容認する民主党や国民新党とその存在についても絶対反対の立場を取る共産党などとの共同歩調が果たして妥当なものかという疑問はずっとつきまとっていた。沖縄県民のことや、基地の問題というより、要するにまず与党に勝つことのみに主眼があった戦いであった。国家の安全保障に関わる問題にそうした目先の政局のみを視野においた戦略が果たして妥当なものかどうか改めて考えさせられたのだった。

現時点で沖縄の基地を他の県や海外に基地を移転すべきだなどという主張自体どう考えても現実的ではない。沖縄の人たちがそこまで考えて今回の選択をしたかどうについては定かではないが、結果的には沖縄の人たちの選択が正しかったと言わざるをえない。

「沖縄の 遠くて近い 基地問題」

tad

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November 19, 2006

みそぎ

Taki5ss

「自民党の中川秀直幹事長は18日、広島県呉市内で講演し、先に郵政造反組の復党条件の1つに挙げた「国民の理解」を得る具体的な方法として、造反組側が郵政民営化への見解や復党理由を公の場で明確に説明することが必要との認識を示し、「それが『みそぎ』になる」と述べた。」 Yahoo ニュースより

平沼さん、野田さんそこまでやって復党したいのですか。綿貫さん、亀井さんの方がはるかに筋が通ってますね。

「郵政の 滝のみそぎで もとの鞘」

tad

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November 16, 2006

松坂大輔大リーグに行く(その2)

Matu松坂の大リーグ入りについて、野球界、社会の各分野からさまざまな反応が出ている。日本の野球会にとっての悲観論、楽観論さまざまある。必要なのは文化論だ。日本の野球はたしかに強くなった。日本は現にWBCを制して世界一になっている。それを誇りに思えばいい。

何も野球だけの話でない。アメリカにはアメリカの誇るべき文化があり、日本には日本の文化がある。お互いそれを大切に守り、発展させればいいのだ。

アメリカの野球はそれが根付いた文化など日本が及ぶべくもない。歴史が違う。そのアメリカ社会で日本のエースが今度はアメリカのエースとなろうとしているのだ。それは日本人として率直に喜べばいいことだ。安倍首相が誇らしい気持ちと言われたのもその表れである。それでいい。

フィルードオブドリームスという映画があった。いい映画だった。そこに出てくるシューレス・ジョーはホワイトソックスの強打者だったが、古きよきアメリカのまさに夢ものがたり。レッドソックスはヤンキース、ホワイトソックスなどと並んでそうしたアメリカ野球黄金時代の名門中の名門だ。近くは2004年にワールドシリーズを制している。松坂にとって最高の舞台だ。

アメリカには何ども行ったことがあるが、ボストンには行ったことがない。これを機会に来年は松坂を見にボストンまで行ってみたいね。ハーバード大学、マサチュセッツ工科大学など世界でもトップクラスの大学が二つもある。そこも見てみたい。それが当面の私の夢。

松坂はもちろん、アメリカで活躍する選手達それにあらゆる分野で活躍する日本人たちに心からエールを送りたい。

tad

参考記事:
楽天野村監督
パリーグ会長
安倍首相
ボストンレッドソックス

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November 15, 2006

伝統のやらせ社会

Yarase1s教育基本法改正の国会審議が大詰めを迎えている。与党は今国会での成立をめざしているが、さまざまな問題が浮上してどうも雲行きがおかしい。特にタウンミーテイングでのやらせ質問問題が出てきて、これこそ大問題ではないかと思っていたら、そのやらせ質問者に対する謝礼のため、内閣府が予算の手当てまでしていたという疑惑が出てきた。政府はまだそれを認めていないが、もし事実とすれば、そんなタウンミーティングなど全く有名無実のものとなる。それが理由で教育基本法改正自体先送りになって当然のことだ。

重要会議とかでなにかを決定する場合、こうしたやらせは日本社会では一種の伝統的な手法である。公的なもの民間のものを含めて、なんらかの会の年初の総会などで当たり前のように用いられる。役員人事とか規約の変更とかの場合、あらかじめ運営事務側が案を用意するのは当然だが、それに事務局の意を受けて賛成意見を述べる者を準備しておくわけだ。あらかじめ運営側の意をうけた出席者が、議長がこれについて「なにかご意見は」というと、ただちに「賛成異議なし」とやるわけだ。そして会議は運営事務側の意図通り終了するという筋書きである。

どうでもいいような会ならそれでいい。ところが最近はさすがそれは少なくなったがかっての大会社の株主総会自体の殆んどがそうしたやらせ会議であったのだ。ご承知のような昔は総会屋なるものがいて、そのやらせ役をやるわけだ。議長が議案を提案するたびに、「異議なし、議事進行」とやる。それで問題のある大会社の総会も30分くらいですんなり終わってしまう。近年さすがそういう総会屋はなくなったが、それに代わって社員株主が総会でそういう役割を演じる、また演じさせる場合はまだまだ多いようだ。かってのように全く質問がないのもおかしいから、適当に質問を用意してそれで総会自体の格好をつけようということをやる。

今回のタウンミーテイングのやらせも、担当者がそういう日本的会運営方式でやろうと考えたのは当然のなりゆきかもしれない。そうした手当て、準備を何もしないでやるとわけのわからない質問が出てきてまとまりがつかなくなる恐れがある。いやそんな悪意でなくても、第一その会でなんの質問も出てこなかったらどうするのか、という心配もある。だから、そういうケースに備えて、こういう質問をしてくれたら会の目的、進行に役立つから頼みますねと、それとなく、それができそうな人に依頼しておくことくらい、実は私自身許されるのではないかと思っている。それがきっかけとなって全体の質疑応答の質が高まればいいのだ。そうしたものなら許されてもいい。

しかし、今回のことについての内閣府のやり方、ましては質問者に渡す謝礼まで予算化するなど、これはもうもってのほかと言わざるをえない。これはもう常識というか、それがある程度許されていい範囲を超えている。

もしその予算化自体が事実なら、それを理由にこの法案は廃案としてゼロからやり直しが当然であろうし、その行為自体規則違反として罰せられなければならないのではないか。

「困ったね やらせで作る 愛国心」

tad

参考記事 

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November 14, 2006

いじめ根本対策

Kazoku4sなにか一つのことが起こり始めると、次から次へと同じような事件、ケースが多発するのが日本社会の一つの特色である。それは決して偶然の現象ではないのだ。統計心理学者の言を待つまでもなく、それは人間社会の病いのなんたるかを明確に物語っているものである。

学校におけるいじめの問題が全国各地で多発している。文部大臣に自殺を予告するという前代未聞のケースも出てきた。今日のYahooニュースにさまざまなケースについての報道があり、安倍総理、伊吹文科省大臣、石原東京都知事などの発言が出てくるが、それぞれお読みになるといい。私は石原知事が一番正論を述べていると思う。

いじめ対策のまず一番のポイントは確かに学校にある。子供と一緒にいじめをやる教師の存在など言語道断だ。ただこの問題については学校の対応が十分でなかっただの、遅れたの、そんなことばかりが前面に出ているが、問題はどうしてそこに親がもっとでてこないのかという石原知事の発言はその通りだと思う。子供が深刻な状況におかれていることを一番身近に感じている親がどうしてもっと対策に乗り出さないのかである。

安倍総理は記者会見でこう述べている。「いじめ問題は日本社会にとって大変深刻な問題になってきた。子どもたちのサインを見逃さないよう、できるだけ早く対応することが大切だ」と述べた。また、「君たちは決して一人ではないということを言いたい。」

何を抽象的なことをおっしゃっているか。いじめの問題が問題なのではない。それは日本社会の深刻な病の一つの兆候に過ぎないのだ。学校の対応うんぬんは単なる対症療法でそれでその病を根本的に直すことはできないのだ。

病の根源は人間一人一人の、何が正しく、何が間違っているかという根本的な倫理観の欠如にある。安倍総理は最近そのことを「規範」という言葉で表現されているが、どうしてそれをもっと明確な言葉で言われないのかである。それは人間がこの社会に生きるために絶対守るべき正しい規範、すなわち倫理道徳ということでないのか。

今の世いじめなんて特別めずらしい病の兆候ではない。今の世の中かってなかったような恐ろしい事件が多発しているではないか。親が子供を殺す、子供が親を殺す。大人がいたいけない子供を何人もなんの理由もなく殺してしまう。そんなことはかって戦前の時代には見られなかった現象である。

なぜそうなってしまったか。それはあきらかに戦後の誤った民主主義教育にある。民主主義を教えることが間違いだというのではない。個人の自由とか権利を守ることの大切さを教えることと引き換えに、個性の重視、多様な価値観を認めるという名の下に、一番大切な正義ということの価値、絶対的な価値、何が正しいか、正しくないかということをあいまいにしてしまったのだ。その絶対的価値とは、人が人を絶対殺してはならないということはもちろん、親・兄弟・姉妹を大切にする、友人、隣人と仲良くする、先生や年寄りを尊敬することであったはずだ。昔の家庭や学校ではそれを道徳、人の道として教えた。今それを道徳の名で教えようとすると、必ず妙な反対論が続出するのである。それは危険な国家社会を作るのだという。

昨日述べた教育基本法の成立をなぜそんなに急いでいるか、疑問を呈した。安倍総理はそれは国家を愛するという子供達のこころの教育が急務であるからだと考えているらしい。私はそのことの必要性はあえて否定しない。それは大切なことである。

しかし国家という前にどうして家族、友人、隣人を愛することを教えないのかいいたいわけだ。それが絶対的な規範であることことを国民に訴えないのか。その訴えはこころある国民の支持を受けるに違いない。教育基本改正の必要性はそこにある。

いじめ自殺多発の問題はこの教育基本法改正とまさに関わっていることを再度述べておきたい。

「改正が 必要なのは こころです」

tad

参考ニュース:
自殺あいつぐ
文科大臣
安倍総理
石原知事

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November 13, 2006

どうしてそんなに急ぐのか

Kihonsいじめの問題、必修教科未履修の問題、タウンミーテイングのやらせ問題、教育委員会制度そのものの問題などなどここにきて、さまざまな教育問題が浮上している。そんな中で政府与党は教育基本法改正案をなんとか今国会で通そうと、やっきになっている。

今の国会が始まった当初、教育基本法は与党がまとまって出した法案であり、民主党など野党は反対をしているものの、与党の圧倒的多数もあって、すんなり通りそうに見えたわけだ。世論の大勢も、基本法改正自体にはおおむね賛成の意見であったようだ。ただ、ことは今後50年、100年の国家の教育問題を左右するだけにじっくり時間をかけてその内容を検討すべしというのが大方の民意のだった思う。私自身も同じように考えていた。
しかしどういうわけか、政府与党はどうしてもこの国会で成立させたいという意向のようである。どうしてそうなのか、よくわからないのだ。

成立を急ぐ、いやより中身をじっくり検討していくべきだ、などとやっているうちに、皮肉にもというか、タイミング悪くというか、よくというか、上記のような数々の教育、教育制度の問題的が噴出してきたのだ。それはただ、文部省が教育委員会の責任だ、学校の責任だだけで片づけられない、教育、教育制度の根本的な問題を含んでいるのである。今まで想定すらされてなかった教育委員会制度の廃止や見直し論が出るにいたっては、なおさらのことだ。それ一つとってもまさに、現在の教育制度についてもっと時間をかけて根本的な改革をしなければならないということのはずである。

政府与党案がまとまっているなどといっても、それはあくまで自民党と公明党の妥協案みたいなものである。愛国心をどう育てるかなどということに関しても自民党と公明党の考えはかなり違う。逆に基本法に反対する野党だって民主党と共産党などの考えは全く違うし、そのはずだ。これについてはむしろ自民党と民主党の考えの方が近い面が多いのでなないかと思う。いずれにせよ、この問題はまさに超党派で論じられるべき問題なのだ。

しかしこの問題については国民はあまり直接的な関心がない。たいした問題だと考えていないふしがある。それをいいことにこんな重要な問題を妥協で決めてもらっては困るのである。それはまさに今後国家100年の計に関わっていることなのだと思う。だから国民を幅広く巻き込んだ議論が必要なのだ。

タウンミーテイングなどそのためのものであったはずである。これについての公聴会、タウンミーテイングのやらせなどもってのほかで、そんな事実が露呈した以上この法案の審議は仕切りなおしだという野党の主張は正しい。政府与党は強行採決してでも決着をはかる構えだが、それは今後国家の政治運営に、大きな禍根を残すことになることは明白である。

政府与党はどうしてもっと時間をかけないのか。

「形だけ 魂ぬけた 基本法」 

tad

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November 10, 2006

政治家なんて使い捨て

Shikaku5rs真意はよくわからないが、小泉首相の「政治家なんて使い捨て」の発言が話題になっている。前の衆院選で造反組の刺客として送り込まれ、当選した議員達が造反組の復党に反対している。当たり前だ。彼らだって好き好んでその道を選んだわけでない。小泉首相の依頼を受け、死に物狂いの戦いをやり、刺客の名を汚名ともせず、政策論争をしかけて当選してきたはずだ。

だから当時の最高責任者の小泉前首相は、造反組の復党論など絶対反対のお墨付きがあるものと思っていたわけだ。が、この発言、真意のほどはよくわからないが、いずれにせよ、「使い捨て」の言はショックであったにちがいない。小泉氏は「政治家なんて」と言っているが、これが古くは江戸時代などによく存在した「忍者刺客」の運命というか、宿命のことを言っているのであればまだわからぬではない。彼らはあくまで日影の身、主人の密命を受けて、敵を倒す。そしてそれが成功しても、晴れの舞台で決して殊勲功となるわけでない。あくまで日影の身、まさに使い捨ての役目なのである。

政治家がそれと一緒にされたらたまったものじゃない。前の選挙では郵政民営化という国家の行く末を左右するというオープンな場での政策論争のためそれに反対する政治家たちと戦ったわけだ。それがただその選挙に勝つためのものであって、それが終わればまた事情が変わったのだから話は別だ、などと言うのはまことにおかしい。それは刺客当選議員に対する裏切りというより、選挙民に対する裏切り行為ではないかと思うのであるが、いかがなものであろう。

それにしても小泉さん、相変わらずインパクトの強いワンフレーズがお得意ですね。時に応じてぱっとワンフレーズで見せる変わり身の速さ、見事なものです。

「刺客など 役目終われば 使い捨て」       

tad


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November 09, 2006

おかしい堀江被告の言い分

Okfs「珍しい 指揮者のいない オーケストラ」  最近たまにあるそうで


ライブドア事件の裁判中だが、堀江被告、宮内被告のやりとりがおもしろい。ただ堀江被告が世間で想像するほど会社内では絶対者でもなく、ワンマンでもなかったと言っているのは聞いていてそうかもしれないと思うわけだ。彼の会社内における日常の行動を見たことがあるが、そうかもしれないと思う。だから堀江被告は自分一人に責任を押しつけられるのはおかしい。自分は本当に知らなかったし、宮内被告ほかそれぞれの担当責任者に任せたことであったからそのことは知らなかった、と言っているのだ。

事実はそれに近いのかもしれない。しかし、しかしである。堀江被告が言っていることはやはり実におかしい。また弁護団がそういう作戦を取っていることも実に不思議というか、会社内における組織原理とか、常識とかをわきまえぬ言い分のように思えるのである。

堀江被告は宮内被告との関係を「上下の関係と思ったことはない(ビジネスパートナーだ)」ライブドアの組織は、「軍隊じゃない」などといっている。私は、いやだからどうだと言うのだ、と言いたいわけだ。なにをどう説明しようが、ライブドアという企業組織の中で彼は最高の経営責任者であったことは否定しようのない事実で、上下関係があるとかないとか、主張しても、組織原理から言えば、それはあるに決まっているのだ。それはいわゆる上下関係でなく、誰が最終責任者かということだ。堀江被告は仮にも自身で会社の経営数字をきちんと把握しておかなくてはならぬ立場、ましてや小さい数字ならともかくあんなに大きな粉飾に全く気づかなかったなどということで責任をまぬがられるわけがないのである。仮に宮内被告の独断でことが進められていたとしても、だからと言ってそれを知らなかったではすまない立場なのだ。どうもその点は裁判とは関係なく、彼は企業という組織のトップしての適格性というか、自分が最高責任者であるという意味がわかっていないらしい。

企業組織の最高責任者が、部下、直属の部下の、しかも企業の一番大切な経営数字に関してのごまかしを、そんなことをは知らなかった、部下が勝手にやったことだということで逃げようなどとしている光景はまことにおかしなものである。そうしたことを証明しようと弁護団と堀江被告が延々と演じ続けて見せたことを裁判長がたしなめたという報道があったが、さもありなん、である。

企業組織人としてのそうした常識に堀江被告が欠けているというのは考えてみれば無理もないことかもしれない。普通の企業の中ではそうした組織原理は平社員から始まって中間管理職、高級管理職、役員などの階段を踏む中でそれを学び、身につけていくのが一般的なのだ。それが彼のようにいきなり、しかも独占的支配の会社のトップになってしまうようなケースでは、そうなってしまう、しまったのも無理のない話かもしれない。

いや、私はなにもピラミッド組織・軍隊組織がすべてだと言っているのではないですよ。現代組織の流行はたしかにフラットでネットワーク型なんだが、ただ実質的にも法律的にも誰が何について責任を持っているかについては、いかなる組織であれはっきりしているはずだし、していなければなりません。商法にだって取締役、代表取締役の責任については明記しているはずです。あんな大規模な粉飾をやっていた企業のトップが責任を問われるなんて当たり前のことではないですか。どれくらいそれが意図的であったか、なかったかについて結果、罪がどれくらい重くなる、ならないかはあるでしょうが。

朝日新聞の一面トップにも「上下関係はなかった」などという見出しが躍っていたが、だからどうなのだ、という解説もあまりなかったのは私に言わせるとこれまたまことに不思議な現象だと思いますね。

tad

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November 07, 2006

情報リテラシー

It3s高校で必修科目で世界史が多くの場合、履修されていなかったという問題が発覚してその補修について救済策が講じられた。その内容、とにかく目先の問題処理だけ、高校教育のため何が本当に必要か、不要かという根本的な検討が何もない形で決着した。

その中でもう一つ気になったことがある。必ずしも必修でないのかもしれないが、世界史とともにいくつかの教科が受験には殆んど関係ないという理由でカリキュラム作成の中で、無視されたというか、軽視された科目がいくつかある。「情報」がそうだ。「情報」とは必ずしもイコールではないだろうが、要するにパソコンである。小学校、中学校、高校とそれぞれの過程でいまやパソコンなんらかの形で教科に加えられ教えられているのだが、小学校、中学校ではもちろんのこと、高校などでそれがどの程度教えられているのか、いないのか、どうもよくわからない。

実は私は地元の小学校、中学校にボランテイアでパソコンを教える機会があるので小学校中学校についてはある程度その実態がわかっているつもりだ。そちらのことについてはこの際ちょっと横においておく。これについてもいずれ自分の意見を述べる機会があればと思う。

問題は高校である。高校の先は大学、大学進学でない生徒は就職だ。その場合いずれにせよどちらの道に進むにせよ、実は「情報」に関するリテラシー、すなわち具体的にはパソコンインターネットを使って情報を得たり、それを処理する能力が実はものすごい大切なことのはずである。就職する生徒にとってはもう就職したその日からパソコンが使えなくては仕事ができないと言うくらいのものであるし、大学に進学した生徒だって、授業の中、またより専門課程に進む中で、研究、調査、リポート作成のためいまやパソコンは必須のものであることをいうまでもない。勉学の成果を挙げるために必須の道具なのだ。

にも関わらず、多くの高校ではただそれが、受験には関係ないという理由でそれを教えることが非常に軽視されているという実態なのだ。このことが大問題だと指摘した政治家、官僚、教育専門家、そして産業界の人がいたという試しがないことに私は慄然とした思いである。

今更説くまでもなく、「情報」コンピューターリテラシーは今後日本を背負って立つ若者達にもっとも重要な技能、知識ではないのか。小学校で英語を教えるべきかどうか、などという議論があるが、パソコンをどの程度教えるのか教えないのかという議論があった試しがない。これはおかしい。すでに述べたように小学校や中学校のことは横におくとして高校生、さあこれから、社会人として育っていく若者により専門的な教育を実施しなければならない高校において「「情報」という科目がそこまで軽視されている日本の教育の実情は嘆かわしい。。

要するにすべては入学試験に焦点が当てられているのである。「情報」にせよ、世界史にせよ、なんにせよただ入学試験に関係ないということで軽視されるのは本末転倒もはなはだしい。

「読み書きに パソコン加え 一人前」  

tad


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November 06, 2006

大義名分のない復党論

Shikaku5s
あれほど激しい争いをやっておいて、戻れという方もいう方、戻りたいという方もいう方。政治家って信念とか意地とかないんだね。普通なら刺客など送られて、ひどい仕打ちにあった相手、なんだこのやろうとなってしかるべきところなのになりふりかまわず元の鞘やに収まりに行く。

小泉前首相がやったことは刺客だとかなんとか言われたが、政策に関して争ったことそれはそれなりに筋が通っていた。で、今度は参院選が危ないからと、前回の選挙で追い落としにかかったものを復党させるというまことに筋の通らない話なのだ。刺客といわれた人たちの立場はどうなるのか。小泉チルドレンたちが争った議員の復党に反対するのは当然のことである。

復党したいという方、してくれという方、双方とも大義名分もなにもあったもんでない。ただただそれも選挙のため、自身の身のためなんだから厭になる。やっぱりおかしな党なんだな。

「刺客など いたはずなのに 元の鞘」

tad
 

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November 03, 2006

理想の先生

Wagashis

「真剣な 熱意伝わる 教師像」   理想の教師

このアンケート調査に大きな興味を持った。今なにかと問題の教師像である。これを多くの学校関係者や先生達にもらいたいものだ。テレビドラマの世界の教師像など、極めて特殊な世界でそもそも現実離れしているという見方もあろう。坂本金八先生が理想だという結果だが、あんな先生いるわけないという感想があったが、それはそうかもしれないと思う反面、、いやそうでもないよ、と思うのだ。

私はこのリポートの最後のまとめに共感を覚えた。「熱くても、冷静でもいい。教師に求められているものは、真剣に生徒と向き合うこと」。私は理想の教師像とはこの一言につきるのではないかと思う。

もっともそれは先生といわず、世のあらゆる職業、企業や官庁のサラリーマンであろうと、その他のプロ専門的職業人なんであろうと、その世界で成功する人、しない人の条件を集約すれば、その現場でいかに熱意をもってその仕事に当たっているか、それに関わる人々と真剣に向き合っているかにつきるのだろうと思う。

そもそも先生を特殊な仕事だと思うことをやめなければならないのではないか。問題は先生を選任するに当たって、その専門知識を重視したり、教え方の技術を重視するあまり本来その人となり、人間性をどのように評価するのかという観点が抜けているような気がしてならない。それが一般の会社とか官庁の職場なら、大人との付き合いが主であって、仮に人間性や感受性に少々欠ける面があっても、まずは仕事ができればいいではないかとそれは大目に見てもらえるたり、周りがそれを補うというのが一般的だ。

ところが学校では、まだ人間として全く完成されていない育ちざかりの子供達が相手なのだ。彼らは感受性の欠如した、人間性の欠如した人間を相手にするともろに敏感に感じるのだろうと思う。彼らは彼らの中でそれを適当の補うすべを知らない。信頼関係の一番のベースは先生がいかに自分たちに熱意をもって対処してくれるかなのだ。熱意があればその先生に怒られたり、場合によっては怒鳴られたりしても、彼らは本能的にそれは自分達に対する愛情だと感じるに違いないのである。そのことは私自身学校でのボランテイア活動で子供達と接する中で一番感じたことだ。

他のボランテイアで指導に当たった方がどうあったか知らないが、私はパソコンを子供に教える過程で、言うことを聞かない子供に対し、結構しかったり、場合によってはどなったりしたものだ。で、結果それで自分が嫌われたかというと、むしろその逆で、その後子供達とのコミュニケーションがうまくいったような気がすることが多かった。

先生はもちろん難しい職業であるには違いないが、かといって、私はそれが特殊な並外れた人格や指導についての専門性が求められている職業だとは決して思わない。むしろ、この報告の最後にあったように熱意を持って子供達に対処するスタンスが何より大切な要件であり、教師として的確として認められるかどうかの試験が仮にあるとすれば、そのことを重点的にチェックすべきだと考えるのである。

それは難しいことかもしれないが、そうした的確性が根本的にに欠ける面があった教師については、免許更新の際再考慮の対処にするのは当然のことだとも考える。免許更新制の導入は是非検討すべきだと考えるものだ。

tad

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November 02, 2006

核保有の是非、議論してどこが悪いのか

一度書いたことだが、再度書く。広島市長が広島市長が首相に「非核」要請文を出した。日本が核を持つかどうかの議論などしては困るということだ。国民新党の亀井氏はもっとひどい。そんなことを言う中川政調会長は罷免に値すると発言している。民主党の鳩山幹事長はこの問題が出た時、やはりそんなことは議論すらしてはいけないことだと発言している。

それに対し、安倍晋三首相は政府はもとより自民党としても正式機関で議論することはないと述べた。しかし同時に「議員個人個人が話すことはある。日本は言論の自由がある」と語った。いや、当然の話だが、もうちょっと、その発言を、政治的、外交戦略的に考えた内容にしたらどうか思うのだ。言論の自由だからやっていいではなく、自分の考えはこうだが、そうしたことを含めた議論を大いにやったらいい、必要だ、といってとこがおかしいのか。

マスコミはもちろんな中川、麻生発言には概して否定的見解を述べているようだ。唯一かどうかわからないが、産経新聞は「自由な言論を封殺することはあってはならない。核に関する論議をあまりにタブー視しすぎているためではないか。思考停止を続けていては、いつまでも普通の国にはなれない。」 私自身はその通りだと思う。

普通の国という言葉を使ったのは確か民主党代表の小沢氏だ。その小沢氏、鳩山氏や今や共闘の一役をかっている亀井氏の言葉をどう評価しているのか。ご自分も同じ考えなのか、ちょっと違うとおっしゃるのか。問題は国民がどう反応するかとか、政局にどう影響するかでなく、長期にわたる日本の安全保障政策上どういうプラスがあるか、ないかという総合的戦略的観点が必要なのだ。それを考えるのが普通の国であり、そのリーダのし資質ではないのか。。

憲法改正に絶対反対、憲法9条死守をいう人たちがいる。私自身それが占領軍に押し付けられたものかどうか、そんなことには関係なく、日本の平和憲法は世界に誇っていいものだと考える一人である。現憲法の精神に沿って日本の防衛体制や外交戦略が打ち立てられることについても基本的に賛成だ。

しかし、不戦の精神だ、ましてや核は絶対に持たないなどという理念は立派であり、守るべき目標であったとしても、それが日本が絶対生き残れるのかという議論は当然必要だし、むしろそれを積極的に行うべきことだ。相手はまともではない。何時何をするかわからない相手なのだ。その相手に攻撃されたり、ましてや核攻撃など絶対させないためにどうしたりいいかという戦略、戦術が必要なのだ。相手は核保有こそ生き残りのため絶対必要だと考えている国なのである。つまりその相手をけん制するには、やはりこちらもそれを持つことが一番いい方法かもしれない。しれない、そうかもしれないという議論がどうしてとんでもない話なのか。このことは憲法9条改正絶対反対論にも通じることである。

日本はすでに自衛隊を持っている。それはあらゆる意味で必要だからである。絶対必要なのだ。それを持つことの意味を未だきちんと説明できない感傷論が未だ横行している現実こそ日本が普通の国でない最大の証拠なのであろう。

実におかしな国ではある。だから小沢さんはそれを変えなければいけないと言われたはずである。憲法改正論にだってもっと積極的だったはずである。ついでに言っておくが、必修科目の未履修問題で与党の甘い甘い対応策は目を覆うべきものがある。そしてそれに乗って結局はごまかしの対応策をとる文科省、こんなことにこそ厳しく批判を行ってもらいたいものである。文科省大臣の罷免をどうして求めないのか。

tad

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November 01, 2006

ごまかしの救済やめるべし

教育基本法改正を今国会でやろうとする与党とこれに反対する野党。当初安倍内閣の支持率の高さもあって野党はなかなか反撃のチャンスがなかった。しかし、必修科目の未履修問題が浮上したのにともなって絶好の反撃材料ができたわけだ。昨日の朝日新聞トップニュースで、その責任は文科省なのか、教委なのか、学校なのか国会で議論していると報道していたが、そんな責任の押し付けあいなどまさにナンセンスである。

最初この未履修問題が発覚した時、私はこれは氷山の一角だと直感した。しかもそれは学校だけの問題でなく、それが存在すること自体教育委員会事務局かなりの程度わかっていたし、文科省当局だってある程度認識があったにちがいないという当初の予想は、その後の展開をみていると、それを裏付ける事実が沢山出てきている。

全国的に広がった未履修校の数の多さ、有名私立校の明白なルール違反、同じく私立校の修学旅行にひっかけた履修科目のごまかし、生徒からのごまかしの告発、そしてついて痛ましい校長の自殺事件などが出るに及んで、この問題は国全体の教育制度そのものを揺るがす問題に発展してきた。

教育基本改正がさほど重要な問題でないと思っていた国民にとってもこの事件で今国家にとって教育問題が大変重要な問題であることを認識させたのは皮肉ではあったが、いいことであったにちがいない。

これに対する政府与党、文科省の対策そのもの、考え方そのものは極めて対症療法的である。「生徒には罪はない」ということを大義名分にただただ目先的な救済策のみをどう打ち出すかを論じている。昨日も伊吹大臣は「本来300時間の補修が必要だがそれを要求することは現実的でない」といわばおまけ、ごまかしの救済をいい、与党もそれを容認する構えである。それについて野党もそれはおかしい、断固規定通りの補修を実施すべしと、いう声が聞こえてこないのは一体どういうことか。そんなごまかしが当たり前になってしまう国でいいのか。

その一方でただ救済など必要なしという意見があるが、これも無責任である。Yahoo投票(10/31)というのがあってそれを見ていると61%が救済の必要なしと答えている。もっともこんなアンケート全くなんの意味もない。生徒に責任はないからその負担を軽減して救済すべしという安易な考えに対する警鐘であろうが、かといってこのアンケートのように救済する必要なし、としてしまうのはまさに非現実的である。何万人になるのかわからないが、その生徒達が卒業できなくなったらそれこそ大混乱になること必定なのだ。その救済策が絶対必要なことは明白なのだ。

問題はその救済策の内容だ。私の提案はすでに述べたが、仮にセンター試験を延期してでも必要な補習授業はやるべしという考えである。絶対時間数でなく、きちんとした中身のものをやれということだ。それが仮に2け月かかるなら、その時間をかけて全員卒業資格を得るようにするようにしたらいい。その結果受験資格もできるのだから、それからセンター試験、それに続く各大学の入試試験もそれぞれ実施すればいい。従って今年に限っていえば、高校の卒業も、大学の入試、大学入学も2ケ月延びるということになるわけだ。進学でなく、就職の生徒については雇用側はそのことについて協力すべきことは当然である。

私の言っていることは非現実的だろうか。法令規則を守る大切さをこの際社会全体で味わったらいい。そのことの大切さを日本社会全体で体験することが大切だと私は考える。今社会各所で起こっている不祥事はすべて法遵守の精神欠如によるものだ。

教育基本法の改正などなんら急ぐ必要はない。たしかにこの問題は今国家にとって最重要課題かもしれない。こうした措置を実施する過程で、教育基本法改正の理念、目的、教育制度のありかた検討をを含めた総合的な展開を国民の理解を得ながら進めていくべきだ。そのために1年、2年、いやもっと時間を掛けてもいいではないか。

tad

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