
「20日行われた大学入試センター試験の英語リスニングで、380人以上の受験生が再テストを受けた。機器の故障などで465人が再テストとなった昨年の試験から1年。「失敗は許されない」と、ICプレーヤーの改良や予行演習の徹底、騒音の排除などに努めてきただけに、大学入試センターの職員には落胆が広がった。」河北新報
結局今年も問題を起こしてしまった。なにせ、受験生にしてみれば試験は一生の大事、神経質になるのは当たり前だ。ほぼ音質に問題なくても、ちょっとしたことがすごく気に掛かる。イヤホンの外から聞こえる音だって気になる。ちょっとした事我慢すればいいのに文句が出れば、試験をする方としたらなんらかの対処を要求される。
大学入試センターのホームページに昨年の英語リスニングテストがあったから、聞いてみた。私などはパソコンにいいスピーカをつけて聞いたから、ゆったりして、気楽に聞けたわけだ。きれいな音質だし、まあよくわかる。しかしこれが試験会場でとなると緊張のあまり逆に常日頃わかっていることだってよく聞こえなくなるかもしれない。
いや、そういう緊張を克服することも実力のうちだというかもしれないが、ことこのリスニングに関してはトラブルが多すぎる。トラブルがあれば、やり直せばいいというものではない。教室でトラブルがあったとして、全員に5分追加時間を与えたしたら、それで大いに得をする受験生だっているかもしれない。いやもちろんそれで決定的不利益をもうむることだってありうる。このリスニングの配点の全体に占める割合は結構高いそうだからそのことは大問題なのだ。
しかもこの試験には大きなお金が掛かることも指摘されている。年々問題を指摘されながらどうしてリスニングのテストにこだわるのか、そこのところがよくわからない。日本の大学の英語試験が文法だ、英文和訳などに傾きすぎているという指摘に答えたことはわかるが、このリスニングを加えたことが本当に受験生の英語の総合力チェックにどれだけ役立っているかどうかわからない。
日本では中学から始まって、高校、そして大学と、大学卒業生なら10年も英語を学ぶことになる。その割には、英語力が全然つかないのはどういうわけか、という議論がずっとなされている。そこで、リスニングという実用的なテストをしようということなのだろうが、受験生にとってはこれは非常な負担であり、いやでいやでしかたがないものに違いないのだ。だから英語なんてただただ試験のためにやるだけであって、それをクリアしたとたんその苦痛を忘れたい、英語なんてもうみたくもないとなるのはある意味でわかるのである。
昨日ジャパンタイムスを読んでいたら、そのことを指摘していた日本在住の外国人教授がいた。いっそのこと大学入試から英語をはずしたら、学生は逆にもっと英語の学習に力を入れるのではないかとということだ。
私もそんな気がする。というのは私自身がそうであったからだ。高校の頃、英語の授業がいやでいやでしかたがなかった。私は大学を卒業して社会人になってから英語をやらざるをえなくなって英語を猛烈に勉強した。自分のペースで、自分のやり方でやったのだ。おかげで英語はある程度できるようになった。大学の入試なんてまさに英語ができなくて失敗した私である。
好きこそものの上手なれというが、この外国人教授の指摘のように、リスニングテストを含めた受験英語が英語嫌いの学生を沢山作り出しているという側面はまさにありそうだ。
言っておくが、私は英語教育絶対必要論者である。小学校からだって初めていいという考えだ。ただそれはただ苦痛を伴うものであっては絶対うまくいかないということだ。
同じリスニングでもなんの味気もない文でなく、時間があれば外国映画でできる限りスーパーをみないで英語を聞くのは大変楽しいものである。大学時代はジョン・ウイエンやゲリー・クーパーが英語の先生だった。今はケビン・コスナー、トム・クルーズがそうなのである。まあその会話の四分の一もわからなくてもいい。それこそ生きた英語を聞いているという楽しさがある。
tad
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